4回シリーズ記事の[2]です
ポイント
日本人の整理整頓好きは、畳の部屋での生活に由来するように思います。かつて「万年床」は、だらしなさの象徴でしたが、ベッドや机が常設される西洋風の生活環境が普及するにつれて、布団の上げ下ろしする生活には戻れない日本人も増えています。時代が変われば私たちの整理整頓の基準もかわらなければなりません。
整理整頓、実は大好きです
私自身も、何を隠そう、整理整頓は大好きです。どちらかというと私は、小中高の12年間で学級委員を10回以上やっているぐらいの優等生タイプで、もちろん、それなりに整理整頓を得意としております。
「ファイルサーバの整理は不要」というのはファイルサーバ検索エンジンメーカーとしての立場から発した発言にすぎません。
日本人に整理整頓好きが多い理由として、私は畳生活の影響があるのではないかと思います。
私自身の生い立ちを振り返るに、六畳一間で一日の大半を過ごしていた時間がかなりの長期に及びます。
畳生活(子供部屋の場合)では、一つの部屋の用途が、時間帯に応じて
寝室>遊び場>勉強部屋> と、1日に何度も切り替わります。
そして切り替えの都度、部屋の床がクリア(何も置いていない状態)になります。
朝起きて布団をあげた瞬間、
おもちゃを片付けて勉強用の折りたたみ机を出す直前
勉強道具を片付けて布団を敷く直前
すくなくとも三回は床がクリアになるわけです。
これを何十年も繰り返すことで、私の中には
(用意>作業>片付け)がワンセットであり、片付けが終わったら
当たり前のように部屋の床上がクリアな初期状態になるという生活習慣ができたのだと思います。
ところが今、ベッドで生活している人には、このような習慣はありません。
ベッドと勉強机が常設された子供部屋では、遊んだら遊びっぱなし、
寝て起きたら置きっぱなし、勉強して終わったら終わりっぱなしにすることが許されます。
「万年床はだらしない」は古い考え方
古い日本人の感覚では、「万年床」とは整理整頓ができない「だらしのない」様子を意味していました。
湿気に由来するカビやダニの発生が体に良くないという理由もありますが、
江戸の長屋や学生アパートにおいては、生活空間という希少リソースを節約するために
一つの部屋を多用途に使う必要があり、一日になんども整理整頓が必須であったため、
それを怠ることが批判の対象になったものと思います。
しかし、ベッドと机を常設できる空間が許されるならば、「ベッド生活」は決してだらしなさの象徴ではなく、むしろ豊かさの証拠であるといえるでしょう。
私自身、結婚してベッド生活に変わりましたが、自分の身の回りの整理整頓は相変わらずやっています。ただ、家族全員に同じレベルの整理整頓を強いることは、家族円満を破壊してしまうので、恐くてできません。それでも生活はちゃんと回っています。
こんな風に、時代が変われば、整理整頓が必要になる背景も変わるのです。ファイルサーバの整理が本当にどこまで必要か、再検討してみませんか?